成人式4人逮捕 信号無視、ガラス破損容疑など [社会情勢]
「成人式4人逮捕 信号無視、ガラス破損容疑など
2010年1月11日(月)08:05 産経新聞
「成人の日」を翌日に控えた10日、ひと足早く行われた各地の式典で、新成人が暴れ、逮捕されるなどの騒ぎが相次いだ。
埼玉県秩父市の成人式では、会場の秩父宮記念市民会館のガラスを割ったとして、県警秩父署が、建造物損壊の現行犯で、同市中宮地町、自称土木作業員、田端謙一容疑者(20)を逮捕。同署の調べでは、田端容疑者は10日午後1時ごろ、同会館の壁面ガラス1枚(縦145センチ、横80センチ)を殴って割った。市職員の通報で駆けつけた署員が取り押さえた。田端容疑者は酒に酔っていたという。
福井市では、市職員に体当たりしたり、パイロン(三角コーン)を投げ付けたりしたとして、福井署が公務執行妨害の疑いで、解体業と無職の男2人=いずれも(20)=を現行犯逮捕した。
沖縄県でも豊見城市の成人式に参加したとみられる同市の無職の男(20)が、那覇市の県道で5人の定員を超える7人が乗った乗用車を運転したとして、那覇署に道交法違反(信号無視、定員外乗車)の現行犯で逮捕された。全員が羽織、はかま姿だった。
一方、長崎県佐世保市の式典では約20人の新成人の集団が、朝長則男市長のあいさつ中に壇上に登り、扇子で市長をたたこうとして係員に制止される一幕も。
集団は「おまえの話なんか聞いとらん」「一発芸しろ」などとやじを飛ばし、たまりかねた市長が「社会は厳しいものだ。ルールを守れるようになりなさい」と一喝。ほかの新成人たちから拍手が起こった。
集団は「つまらんから出ようぜ」と言って退出。うち1人は会場を出た後、市職員に「今日がこういうことをやれる最後の日。明日からはまじめに働く」と神妙に語ったという。」
今では毎年の成人式の『風物詩』となってしまった感のある『新成人の暴挙』ですが、私が成人になった頃はこんなことはありえませんでした。皆、緊張して、市長などの挨拶を黙って聞いていました。今から、自分も一人前の大人になるんだ。もう子供ではないんだという使命感・責任感を感じていたものでした。私には、『今日がこういうことをやれる最後の日。明日からはまじめに働く』という彼らの考え方が分かりません。成人であろうが、子供であろうが、良いことは良い、悪いことは悪いのです。子供だから許されるという考え方が『異常』です。私の母は戦前・戦中の世代でしたから、物事の区別はキッチリとケジメをつけるという教育を小さい時から叩き込まれましたし、礼儀作法も『小笠原流』という日本特有の作法を守るよう躾けられました。例えば、今の人たちは麺類を食べる時、音を立てて食べるのが、日本のおいしい食べ方だとか言いますが、日本の正しい礼儀作法では、外国と同じで、音立てたら『下品』なのです。私の父は戦後世代でしたが、頭にクソがつくほど真面目な人で、よく私も殴られたり、蹴られたりしました。今なら、児童虐待とか、体罰はイケナイとか言いますが、本当にしてはイケナイことをした時は体罰も時には必要です。私の父は、八つ当たりで体罰をする人ではなかったので、後でこちらが真剣に謝ると、『自分も殴ったりして済まんかったのう』と許してくれて、自己反省もしておりました。厳しい両親ではありましたが、ちゃんと子供のことを考えて、時にはふざけて笑わせたりしてくれましたし、欲しい書籍などを購入する時もちゃんと前以って断って購入する分にはいくらでも許可してくれました。別に自分の両親を自慢する訳ではないですが、子供の時から、キチンと躾けをされていれば、先の新成人たちの言葉がいかに『異常』であるか分かると思います。成人になるということは、両親や社会の庇護から『独立』し、『自立』するということだと思います。それを『善悪を判断せずとも良い』ことまで子供には許されるのだと勘違いしている『新成人』は明らかにオカシイのです。『善悪の判断』は子供時代から身に付けるものです。『善悪を判断せずとも良い』のは、子供の『特権』とか『免罪符』とか考えている彼らは私から見れば『子供以下』です。
2010年1月11日(月)08:05 産経新聞
「成人の日」を翌日に控えた10日、ひと足早く行われた各地の式典で、新成人が暴れ、逮捕されるなどの騒ぎが相次いだ。
埼玉県秩父市の成人式では、会場の秩父宮記念市民会館のガラスを割ったとして、県警秩父署が、建造物損壊の現行犯で、同市中宮地町、自称土木作業員、田端謙一容疑者(20)を逮捕。同署の調べでは、田端容疑者は10日午後1時ごろ、同会館の壁面ガラス1枚(縦145センチ、横80センチ)を殴って割った。市職員の通報で駆けつけた署員が取り押さえた。田端容疑者は酒に酔っていたという。
福井市では、市職員に体当たりしたり、パイロン(三角コーン)を投げ付けたりしたとして、福井署が公務執行妨害の疑いで、解体業と無職の男2人=いずれも(20)=を現行犯逮捕した。
沖縄県でも豊見城市の成人式に参加したとみられる同市の無職の男(20)が、那覇市の県道で5人の定員を超える7人が乗った乗用車を運転したとして、那覇署に道交法違反(信号無視、定員外乗車)の現行犯で逮捕された。全員が羽織、はかま姿だった。
一方、長崎県佐世保市の式典では約20人の新成人の集団が、朝長則男市長のあいさつ中に壇上に登り、扇子で市長をたたこうとして係員に制止される一幕も。
集団は「おまえの話なんか聞いとらん」「一発芸しろ」などとやじを飛ばし、たまりかねた市長が「社会は厳しいものだ。ルールを守れるようになりなさい」と一喝。ほかの新成人たちから拍手が起こった。
集団は「つまらんから出ようぜ」と言って退出。うち1人は会場を出た後、市職員に「今日がこういうことをやれる最後の日。明日からはまじめに働く」と神妙に語ったという。」
今では毎年の成人式の『風物詩』となってしまった感のある『新成人の暴挙』ですが、私が成人になった頃はこんなことはありえませんでした。皆、緊張して、市長などの挨拶を黙って聞いていました。今から、自分も一人前の大人になるんだ。もう子供ではないんだという使命感・責任感を感じていたものでした。私には、『今日がこういうことをやれる最後の日。明日からはまじめに働く』という彼らの考え方が分かりません。成人であろうが、子供であろうが、良いことは良い、悪いことは悪いのです。子供だから許されるという考え方が『異常』です。私の母は戦前・戦中の世代でしたから、物事の区別はキッチリとケジメをつけるという教育を小さい時から叩き込まれましたし、礼儀作法も『小笠原流』という日本特有の作法を守るよう躾けられました。例えば、今の人たちは麺類を食べる時、音を立てて食べるのが、日本のおいしい食べ方だとか言いますが、日本の正しい礼儀作法では、外国と同じで、音立てたら『下品』なのです。私の父は戦後世代でしたが、頭にクソがつくほど真面目な人で、よく私も殴られたり、蹴られたりしました。今なら、児童虐待とか、体罰はイケナイとか言いますが、本当にしてはイケナイことをした時は体罰も時には必要です。私の父は、八つ当たりで体罰をする人ではなかったので、後でこちらが真剣に謝ると、『自分も殴ったりして済まんかったのう』と許してくれて、自己反省もしておりました。厳しい両親ではありましたが、ちゃんと子供のことを考えて、時にはふざけて笑わせたりしてくれましたし、欲しい書籍などを購入する時もちゃんと前以って断って購入する分にはいくらでも許可してくれました。別に自分の両親を自慢する訳ではないですが、子供の時から、キチンと躾けをされていれば、先の新成人たちの言葉がいかに『異常』であるか分かると思います。成人になるということは、両親や社会の庇護から『独立』し、『自立』するということだと思います。それを『善悪を判断せずとも良い』ことまで子供には許されるのだと勘違いしている『新成人』は明らかにオカシイのです。『善悪の判断』は子供時代から身に付けるものです。『善悪を判断せずとも良い』のは、子供の『特権』とか『免罪符』とか考えている彼らは私から見れば『子供以下』です。
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