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今そこにある危機(46) [国際・政治情勢]

いまだ脱皮できない主権なき同盟関係

「親米」に溺れず「反米」を煽らず 江藤が説いた「他者としてのアメリカ」=遠藤浩一

(SAPIO 2009年7月8日号掲載) 2009年7月23日(木)配信

文=遠藤浩一(評論家・拓殖大学教授)

 江藤淳が自死して今年で10年になる。夏目漱石の研究など戦後を代表する文学評論家であった氏は、同時に一級の保守論客としても知られた。戦後民主主義の虚偽と欺瞞の構造を見出し、あくまで「戦後」と「日本人」を問い続けた氏。その批評は、今日においてもいよいよ時代の肯綮に当っている。いまあらためて「江藤淳が2009年の日本に言い残したこと」を問う。

***

 江藤淳ほど、日本の対米依存を自覚した評論家はいない。だからこそ彼は、親米反米のいずれにも与せず、日米関係の適切な距離感を思索しつづけてきた。
 没後10年、国際情勢の多極化、金融資本主義の破綻を経てもなお、アメリカを客観視できない日本。氏の言葉は、残念ながら些かも古びていない。

 五月二十七日夜、一片の文書がホワイトハウス記者会に提示された。そこにはジョン・ルースなる人物の名が、次期駐日大使候補として記されていた。なんでもバラク・オバマ大統領の選挙戦を資金面で支えた弁護士だとかで、日本との接点がほとんどないばかりか、政治家としても外交官としても手腕が未知数の、有り体に言ってしまえばズブの素人が同盟国の大使に指名されたわけである。十六日に新中国大使としてユタ州のジョン・ハンツマン知事(共和党、マケイン選対の共同委員長)の起用を大統領自らが発表したことと比較すると、日本も軽くあしらわれたものだなァという印象は否めない。

 江藤淳だったらこの有り様を見て何と言うだろうか? 同盟国への配慮の欠如に腹を立ててみせるだろうか。それとも日米同盟の変質を見抜いて警鐘を発するだろうか。あるいはこれを機により進化した日米関係の構築をめざすべきだと説くだろうか。

 きわめて事務的な発表は、英国、フランス、インド大使の人事についても同様で、日本政府筋は「わが国だけが違う扱いをされたわけではない」と、「対日軽視」論の打ち消しに躍起になっている。が、やはり今回の大使人事は、日米同盟の決定的な変質を示す一つの現象として受け止めるべきだろう。

 二十年前の欧州冷戦終結によって、米国の世界戦略における日米同盟の価値は低下し、その分、経済問題が両国間の重要案件として浮上するようになった。アメリカにとって、バブル崩壊後の日本はそれでも重要な経済パートナーだったし、ちょっと強い口調で要求すれば国内の経済システムの改変も厭わないほど聞き分けのいい弟分だった。貪欲にカネ儲けをし、贅沢をし、足りなければ借金をしてでも消費し続けるという蕩尽資本主義を運営していきたい米国にとって、日本は引き続きなくてはならない存在であり、経済再建を急ぐ日本にとっても米国は大事なお得意様だった。

 同時にこの間、世界のパワーバランスは激変しており、東アジアにおける冷戦の一方の当事者で、本来ソ連とともに敗北者の側にまわる筈だった中国が、全体主義統制と資本原理主義を統合するという奇手を用いて、軍事的にも経済的にも急成長を遂げ、無視し得ない存在になっていた。その傍らでは北朝鮮が核開発を強行し、恫喝によって国益を追求するという臆面もない手法を駆使している。

 こうした環境の変化は、否応なく日米同盟の再定義を促した。一方で貪欲な消費経済システムを運営していく上で、もう一方においては東アジアの冷戦を差配していく必要に迫られて、アメリカは日米同盟の意義について再確認することにした。日本もこれを歓迎した。それが一九九六(平成八)年に橋本龍太郎、ビル・クリントン両首脳の間で交わされた「日米安全保障共同宣言」である。この文書で日米両国は、自由と民主主義を「深遠な共通の価値」とした上で、冷戦後もアジア太平洋地域には「依然として不安定性及び不確実性が存在」し、「核兵器を含む軍事力が依然大量に集中している」こと、そして日米同盟が「アジア太平洋地域において安定的で繁栄した情勢を維持するための基礎であり続けること」を再確認した。つまり、それまでは専ら旧ソ連への対抗措置と位置づけられてきた日米安全保障体制を、それ以外の相手(中国や北朝鮮)に対しても機能させると再定義したのである。

<旧敵国に安保を委ねる「嫌米」という屈折>

 江藤淳はこのとき、「世界の中でもっともパワーバランスが流動化しているアジア・太平洋地域において、その流動的な情勢にクサビを打ち込んだというところに、この再確認の重要性がある」(「日米同盟新しい意味付け」、『SAPIO』平成八年六月二十六日号)と、その意義について正確に指摘した上で、しかしそれは「北朝鮮からミサイルが飛んでこようが、中国が新たに開発したミサイルを能登沖に落とそうが、こうした核の脅威に対しては米軍が対応するということである。それは、いいかえれば、日本は今回の再確認において日本の安全をアメリカの核能力に託し続けるという選択をしたことになる」(同)と、わが国安全保障の致命的な問題点を衝いている。

 さてそれから十数年経って、日米両国及びアジア太平洋地域の環境はさらに大きく変化している。この間に北朝鮮による拉致工作が明らかになった。この国は核開発も粘り強く続け、それを逆手にとった恫喝外交を繰り広げている。これに対して周辺諸国は六か国協議なる会議を踊らせるだけで有効な対応を取り得ていない。

 経済的にも軍事的にもますます強大になった中国は覇権への意思をますます鮮明にし、国民党の指導者を選んだ台湾はそこに急接近している。蕩尽資本主義が破綻をみせた米国は経済再建のためにも中国に対する微笑を絶やすわけにはいかない。もはや中国は不安定、不確実な存在ではなく、米国経済を支える大切なパートナーになっている。自由や民主主義といった「深遠な共通の価値」にはしばらくお引き取りいただき、今はとにもかくにも「新時代の米中関係」をアピールしましょうということで、両国は歩調を揃えている。

 そればかりか米国には、「アジア太平洋地域において安定的で繁栄した情勢を維持するための基礎」を日米同盟から別の何か(例えば六か国協議)に置き換えようとする気配さえある。もはや「日本の安全をアメリカの核能力に託し続けるという選択」が限界を露呈しているのは、誰の目にも明らかだろう。

 要するに、ここでまた、日米安保体制の再々定義が求められているのである。もとよりそれは、日米二国間同盟を日米中露等による多国間安保機構に切り替えることではない。日本側からすれば、主権の制限を自ら甘受することを止め、自国の生存と安全を米国に依存するような体制を見直して、「自由な主権国家間の同盟に変質」(『一九四六年憲法その拘束』)させることであり、米国からするならば「より強力で、より少く米国に依存するようになった日本に耐え、それを受け容れ、そのような日本と同盟し、共存する決意」(同)を固めることである。

 江藤淳は、そのことを一貫して説いてきた。その過程で、「嫌米」という絶妙な造語でもって日本人の対米感情を表現してみせたこともある。「反米」や「親米」といった気分が外交・安全保障政策を立てるにあたってしばしば有害であるように、この「嫌米」も、旧敵国に安全保障を委ね続けていることによって生じる屈折した感情を示す造語であって、政策とは無縁のものであるし、そうあらねばならない。しかし自由・民主主義国家である以上、こうした国民感情が政策決定要因となることも当然あり得る。

 とするならば、健全な日米関係を構築(政策化)するには、日本自らが「米国にとって強制されたパートナーではなくなり、一個の自由なパートナーに変質すること」(同)によって、「嫌米」感情の原因を除去するほかない。アメリカもそれを受け容れてほしい江藤が主張し続けたのはこれ、すなわち日本自身の変化であった。

 この人は「反米」を煽ったことはなかったし、むろん「親米」に溺れたこともなかった。現行の日米同盟に懐疑的ではあったけれどもそれ自体を否定したわけではなかった。同盟を機能させるには、日本自らが主権の制限を解き、戦後から脱却しなければならないと説いてきたにすぎない。

<アメリカという他者との相違に微笑をもって耐えよ>

 同盟とは国家間の盟約だが、日本からすればアメリカという「他者」との、アメリカからすれば日本という「他者」との間で交わす、自己の安全と利益を確保するための約束事であって、相手のための約束ではない。したがって「他者」との約束事などというものは絶対不変ではあり得ない。当事者各々の環境や心境の変化によって、しばしば大きく変動するものである。「他者」の変化を管理することはできないし、行動を規定することもできない。結局は、自分がどうするか、でしかない。日米同盟について論じるとき、江藤の結論が日本自身の脱皮もしくは変化という論点に辿り着くのは、それゆえである。

「もしこれまでの私の仕事に何かの意味があるとすれば、それは文芸批評に『他者』という概念を導入しようと努めたことだろうと思う」(『文学と私』)と述懐する江藤は、エッセイの表題に「と私」と付けることが多かった。「アメリカと私」、「戦後と私」、「場所と私」、「批評と私」、「妻と私」……。常に、「私」の視点から「他者」を論じている。「他者」を論じることによって「私」を再確認している、あるいは「私」の肉声を発するために「他者」を用いている。

 江藤における政局論や国際政治論に意味があったとするならば、文芸批評がそうであったように、そこにもまた「他者」という概念を導入したからであり、「私」に徹した視点があったからである。

 昭和三十七年にはじめて米国に留学にしたときの心境について、こう述べている。

「私は、まず、自分が自分であってそれ以外の何者でもないことを、自分を育てた日本の歴史と文化遺産の一切とともに、引き受ける必要があった。それは引き受けるに値するものであった」

「現実に存在するお互いの相違を、もどかしさをこらえて直視し、彼らのいう『人間』human

beingsと、私のいう『人間』とのあいだにある微妙な意味の色合いのちがいに、いわば微笑をもって耐えること、であった」(『アメリカと私』)

 二国間の同盟というものは、両者のあいだにある微妙な意味の色合いのちがいに、いわば微笑をもって耐えること、ではないか。

 江藤淳にとってそして日本人にとって、米国及び米国人はあくまでも「他者」である。日本人が日米関係について論ずるということは、あくまでも一方の当事者たる日本人すなわち「私」として、「他者」との関係を論ずることでなければならない。江藤淳は、そのことを実践し続けたのだと思う。

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