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今そこにある危機(28) [国際・政治情勢]

「【主張】ノモンハン70年 一方的な歴史解釈検証を

2009.9.16 03:22 産経新聞

 日ソ両軍が旧満州国とモンゴルの国境線をめぐって激戦を繰り広げたノモンハン事件(昭和14年5~9月)の停戦協定から70年が経過した。

 この戦闘で、日本軍はソ連軍の機械化部隊に大敗したとされてきた。だが、ソ連崩壊後のロシアで旧ソ連軍の資料が公開され、ソ連側の死傷者が2万6000人と日本側の2万人を上回っていたことが明らかになった。

 また、最近の研究で、当時の日本政府が独ソ接近の情報を得ていながら、それを重視していなかったことも分かってきた。ノモンハン事件最中の1939年8月、独ソ不可侵条約が結ばれ、平沼騏一郎首相は「欧州情勢は複雑怪奇」と言って退陣した。

 日本の情報収集力や情勢判断の甘さについて、当時の国際情勢に照らし、再検証が必要である。

 ロシアのメドベージェフ大統領は先月、モンゴルの首都ウランバートルで行われたノモンハン事件の70周年行事で、「この勝利の本質を変える捏造(ねつぞう)は容認されない」と述べた。「ソ連は正しかった」とするスターリン史観の継続を強調した演説である。

 東京裁判で、ノモンハン事件は日本が計画した侵略的行為として裁かれた。だが、戦闘に備えて機械化部隊を東へ移し、周到に準備していたのは、むしろソ連だ。同じ時期、ソ連はドイツとも東欧・バルト諸国の勢力圏分割を約した秘密協定を結んでいる。モンゴルでも血の粛清を行った。アジアでも欧州でも、ソ連は「解放者」ではなかったのである。

 ソ連は終戦間際、日ソ中立条約を破って満州に侵入し、関東軍将兵ら約60万人をシベリアなどに連行し、約6万人が強制労働で死亡した。日本固有の領土である北方四島を今も不法に占拠し続けている事実も忘れてはならない。

 プーチン首相が主導するメドベージェフ政権は、エリツィン時代の4島を明記した「東京宣言」(1993年)を反故(ほご)にし、平和条約締結後に歯舞、色丹の2島を日本側に引き渡すとした「日ソ共同宣言」(1956年)を基礎に交渉しようとしている。

 日ソ共同宣言が署名された当時の首相は、新政権を担う鳩山由紀夫氏の祖父、鳩山一郎氏だ。ロシアが2島返還を持ちかけてくる可能性があり、要注意だ。鳩山新政権は4島返還の原則を絶対に曲げてはならない。」


ノモンハン事件については、半藤一利氏などが、『日本大敗北論』を唱えてきたが、ソ連崩壊後のロシアで旧ソ連軍の資料が公開され、実は、兵力で圧倒的に優勢だったソ連軍が、劣勢だった日本軍にボロ負けしていたことが判明した。当時、ソ連軍司令官だったジューコフ元帥が、第二次大戦後、ソ連軍が苦戦した戦いの筆頭にノモンハンの『ハルハ河』を挙げている。実際、前線の日本兵は勇敢であった。戦略的には、日本側が、停戦条約で譲歩したため、『敗北』だったかもしれないが、戦術的には『勝利』であった。実際、このソ連軍の『敗北』にスターリンは、ドイツと日本による両面攻撃を恐れて、別荘に『ひきこもり』になっていたという。ソ連軍のこの意外な『敗北』は、スターリンによる赤軍幹部の大粛清にあったのだから自業自得である。

ノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録

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  • 作者: 小田 洋太郎
  • 出版社/メーカー: 原史集成会
  • 発売日: 2002/07
  • メディア: 単行本


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