今そこにある危機(12) [国際・政治情勢]
「高須基仁のメディア国士無双 逆風を耐え抜いた東條英機の孫娘・由布子さん
2008年12月26日(金)15時0分配信 リアルスポーツ
高須基仁のメディア国士無双 逆風を耐え抜いた東條英機の孫娘・由布子さん
12月23日は、言うまでもなく天皇誕生日である。だが、この日にはもうひとつの“顔”がある。1948年、極東国際軍事裁判で死刑判決を受けた7人のA級戦犯が絞首刑になった日だ。別に偶然でも何でもない。連合国が当時の皇太子の誕生日に合わせて処刑しただけの話である。
この日、A級戦犯の一人である東條英機元総理の孫娘、東條由布子さんの新刊「家族愛~東條英機とかつ子の育児日記・手紙より」(春日出版)の出版記念祝賀会に出席した。本書は若き日の東條とかつ子夫妻が、長男英隆の誕生から小学校に入学するまでをつづった育児日記や、新婚当時に交わした手紙などを中心に構成されている。
由布子さんとは8月15日、BS11デジタルで放送された「暴く!! ニュース&噂の裏の裏・第二弾~検証!靖国問題と東京裁判~」でパネリストとして共演した。今回のパーティには、その縁で呼ばれたわけだ。
由布子さんは東京裁判史観、靖国神社からのA級戦犯分祀、従軍慰安婦の強制連行、南京大虐殺などを否定している。そして、遺族の立場から東條を擁護している。
もちろん東條が負った責任は重い。しかし、彼が一人きりで戦争を遂行したわけでもない。責任があるとしたら、戦争を翼賛し、PRしたマスメディア。とりわけ当時は新聞の力が大きかった。新聞は国民を煽りたて、若者たちを戦場へと駆り立てた。その罪は重い。
皇室を、そして国体を護るために判決を受け入れ、静かに処刑台の露と消えた東條。そして戦後、世間に吹き荒れる逆風の中で蟄居し続けた東條家。世間は東條に全責任をおっ被せるのを、そろそろ見直す頃合いではないか。
由布子さんは戦後、どんな立ち居地で生きてきたのだろう。戦前は超セレブだった彼女。今で言うところの小泉孝太郎のような存在だったろうに、戦後は真逆の立ち位置にある。彼女は何を考えているのだろう。東條家の復権か、それとも、うらみつらみか?
私は齢84になる母に「東條英機の孫娘に会う」と言った。すると母に「私のかわりに拝んでおいて」と頼まれた。私は拝みこそしなかったが、母のため著書にご揮毫(きごう)を頂いたのは言うまでもない。」
上記の記事は昨年のものですが、気になったので掲載しました。東條英機元総理に対しては、A級戦犯というレッテルを貼られて処刑されたこともあり、日本人の大半は多かれ少なかれ悪いイメージを持っている方々も多いと思われますが、一度は自殺を試みたとはいえ、あの卑劣なる国際法を無視した復讐裁判である悪名高い『東京裁判』において、最期まで死力を尽くして、日本のために戦ってくれました。取材した高須基仁氏の言うように、責任があるとしたら、戦争を翼賛し、PRしたマスメディアの罪は重いです。戦後、朝日新聞をはじめとするマスコミはダンマリを決め込み、逆に当時の日本政府や軍部の罪を追及しまくっています。非常に卑劣です。記事の最後に高須氏の母親に「東條英機の孫娘に会う」と言ったら、彼の母親に「私のかわりに拝んでおいて」と頼まれたという話から、敗戦当時の日本人が、戦争責任を決して当時の日本政府や軍部に感じていなかったことが分かります。東條英機氏の御遺族の戦後の困難を思うと頭が下がる思いです。
2008年12月26日(金)15時0分配信 リアルスポーツ
高須基仁のメディア国士無双 逆風を耐え抜いた東條英機の孫娘・由布子さん
12月23日は、言うまでもなく天皇誕生日である。だが、この日にはもうひとつの“顔”がある。1948年、極東国際軍事裁判で死刑判決を受けた7人のA級戦犯が絞首刑になった日だ。別に偶然でも何でもない。連合国が当時の皇太子の誕生日に合わせて処刑しただけの話である。
この日、A級戦犯の一人である東條英機元総理の孫娘、東條由布子さんの新刊「家族愛~東條英機とかつ子の育児日記・手紙より」(春日出版)の出版記念祝賀会に出席した。本書は若き日の東條とかつ子夫妻が、長男英隆の誕生から小学校に入学するまでをつづった育児日記や、新婚当時に交わした手紙などを中心に構成されている。
由布子さんとは8月15日、BS11デジタルで放送された「暴く!! ニュース&噂の裏の裏・第二弾~検証!靖国問題と東京裁判~」でパネリストとして共演した。今回のパーティには、その縁で呼ばれたわけだ。
由布子さんは東京裁判史観、靖国神社からのA級戦犯分祀、従軍慰安婦の強制連行、南京大虐殺などを否定している。そして、遺族の立場から東條を擁護している。
もちろん東條が負った責任は重い。しかし、彼が一人きりで戦争を遂行したわけでもない。責任があるとしたら、戦争を翼賛し、PRしたマスメディア。とりわけ当時は新聞の力が大きかった。新聞は国民を煽りたて、若者たちを戦場へと駆り立てた。その罪は重い。
皇室を、そして国体を護るために判決を受け入れ、静かに処刑台の露と消えた東條。そして戦後、世間に吹き荒れる逆風の中で蟄居し続けた東條家。世間は東條に全責任をおっ被せるのを、そろそろ見直す頃合いではないか。
由布子さんは戦後、どんな立ち居地で生きてきたのだろう。戦前は超セレブだった彼女。今で言うところの小泉孝太郎のような存在だったろうに、戦後は真逆の立ち位置にある。彼女は何を考えているのだろう。東條家の復権か、それとも、うらみつらみか?
私は齢84になる母に「東條英機の孫娘に会う」と言った。すると母に「私のかわりに拝んでおいて」と頼まれた。私は拝みこそしなかったが、母のため著書にご揮毫(きごう)を頂いたのは言うまでもない。」
上記の記事は昨年のものですが、気になったので掲載しました。東條英機元総理に対しては、A級戦犯というレッテルを貼られて処刑されたこともあり、日本人の大半は多かれ少なかれ悪いイメージを持っている方々も多いと思われますが、一度は自殺を試みたとはいえ、あの卑劣なる国際法を無視した復讐裁判である悪名高い『東京裁判』において、最期まで死力を尽くして、日本のために戦ってくれました。取材した高須基仁氏の言うように、責任があるとしたら、戦争を翼賛し、PRしたマスメディアの罪は重いです。戦後、朝日新聞をはじめとするマスコミはダンマリを決め込み、逆に当時の日本政府や軍部の罪を追及しまくっています。非常に卑劣です。記事の最後に高須氏の母親に「東條英機の孫娘に会う」と言ったら、彼の母親に「私のかわりに拝んでおいて」と頼まれたという話から、敗戦当時の日本人が、戦争責任を決して当時の日本政府や軍部に感じていなかったことが分かります。東條英機氏の御遺族の戦後の困難を思うと頭が下がる思いです。
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こんばんは!
やっと復活されたようですね!
お待ちしておりました。
もう、身辺のことは落ち着かれたのでしょうか?
リンクURLも早速、修正しましたのでよろしくお願いします(^-^)/
by 豪 (2009-09-23 20:35)