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今そこにある危機(56) [国際・政治情勢]

日の丸隊、不眠不休「一人でも救出したい」

2009年10月3日(土)09:09 読売新聞


行方不明者の捜索をはじめた国際緊急援助隊の隊員たち=竹田津敦史撮影 【読売新聞社】

 【パダン(インドネシア・スマトラ島)=門間順平】スマトラ島沖地震の被災地・パダンに2日、日本の国際緊急援助隊が到着し、被災者の救助活動に乗り出した。

 日の丸を胸に付けた作業着姿の隊員たちは「一人でも多く救い出す」と誓い、がれきの山に入っていった。隊員の活動に同行した。

 隊員ら約80人がチャーター機でパダン空港に到着したのは同日午前9時40分(日本時間午前11時40分)頃。「小学校が押しつぶされ、親たちは泣き叫んでいる」。先遣隊として現地調査に入っていた隊員から、報告が次々と上がってくる。

 午後3時40分過ぎ、まず13人がインドネシア軍のトラックで現地に向かった。記者も荷台に乗り込んだ。

 荷台から見る街は、地震の爪跡を色濃く残していた。1階部分が押しつぶされ、大きな三角屋根しか見えない建物、大きく傾いた商店。道路と橋の境目に大きな段差ができ、トラックで通過するたび荷台が揺れる。

 警視庁から派遣された同隊の梅本光巡査部長(35)は「思ったより、ひどい。捜索は難航するのではないか」と息をのんだ。

 急にトラックがブレーキをかけた。沿道のガソリンスタンドで給油を待つ車やバイクの長い列が、片側2車線の道路の1本をふさいでいる。停電が続くパダンでは、明かりをとるために一晩中、車やバイクのエンジンを付けっぱなしにしており、ガソリンが必需品になっているからだ。暴動寸前の混乱状態に、警察官もスタンドに駆けつけていた。

 小学生ぐらいの少年を追い越した際、荷台の最後部にいた福岡市消防局の花田嘉城さん(34)のキャップを目にしたのか、少年が「ジャパン」と叫んだ。“声援”を背に受け、隊員たちの表情が引き締まった。

 午後5時前。鉄骨造5階建てホテルの倒壊現場に到着すると、現地軍の担当者は、「中に5人の死者がいる」と協力を求めた。警視庁の災害救助犬の「グラント」「ダッロ」「ガルム」の3頭も「JAPAN」と書かれた防護服を着けて活動を開始した。

 援助隊は2008年の四川大地震で、被災者の生存率が著しく低下する72時間を過ぎてから現地入りした。今回は、まだ24時間残っている。花田さんはがれきの山を見て、「何のために早く来たのか。それは、一人でも多くを救い出すため」と決意を新たにしていた。

 

 ◆715人死亡確認◆

 【パダン=伊藤彰浩】インドネシア保健省当局者は2日、715人の死亡が確認されたと明らかにした。一方、パダンで連絡がとれなくなっていた日本人の男女3人は、在メダン総領事館が2日午後、無事を確認した。


現地の様子はかなりひどいようですが、日本の国際緊急援助隊には、頑張って貰いたいです。現地の少年が『「ジャパン」と叫んだ』のにも現地の人々が、親日的で、日本に期待しているのが分かるエピソードで、何か日本人としてとても嬉しいです。
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